大阪地方裁判所 昭和60年(行ウ)88号 判決 1992年4月27日
原告
鈴木真規子
右訴訟代理人弁護士
大澤龍司
同
浅野省三
同
高木甫
同
能瀬敏文
同
横井貞夫
同
浦功
被告
天満労働基準監督署長松山二郎
右指定代理人
塚本伊平
同
明石健次
同
國常壽夫
同
塩原和男
同
横山嘉信
同
宮林利正
同
垣内久雄
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が原告に対し昭和五九年一二月二〇日付でなした労働者災害補償保険法に基づく療養の費用の支給をしない旨の処分を取消す。
第二事案の概要
本件は、原告が被告に対し、昭和五六年七月三一日労災認定を受けた頸肩腕障害及び腰痛症に関し、同五八年四月七日から同年一一月一八日までに要した鍼灸治療費七万三四四〇円につき、労働者災害補償保険法一二条の八、一三条に定める療養給付請求をしたところ、被告が右鍼灸治療費は同法一三条二項所定の政府が必要と認める範囲を越えているとして不支給処分をしたため、原告において右処分の取消を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 原告は、昭和五六年七月三一日天王寺労働基準監督署長により頸肩腕障害及び腰痛症の労災認定を受け、同五五年一〇月二日から同五八年三月二五日まで、労災法一二条の八、一三条に定める一般医療及び鍼灸治療の併施に係る療養費用の療養給付を受けた。
2(1) 原告は、同五九年一二月一二日、被告に対し、前同様、同五八年四月一日から同年一二月三一日までの一般医療及び鍼灸治療併施に係る療養費用二五万八二三〇円(一般医療費一八万四七九〇円、鍼灸治療費一八回分七万三四四〇円)につき療養給付請求をしたところ、被告は同五九年一二月二〇日付で、右鍼灸治療は同法一三条二項所定の政府が必要と認める範囲を越えているとして、鍼灸治療費について療養給付不支給決定(以下、本件処分という)をした。
(2) 同五七年五月三一日基発第三七五号労働省労働基準局長通達「労働保険における『はり・きゅう及びマッサージ』の施術に係る保険給付の取扱いについて」(以下、三七五通達という)及び同日事務連絡第三〇号同局補償課長連絡(以下、三〇連絡という)は、一般医療と併用するはり・きゅう施術は、初療の時から一二か月を療養給付期間としている。
(3) 被告は、三七五通達及び三〇連絡に依拠し、原告に対し、通達施行日である同年七月一日から九か月(経過措置により、通達施行日前の施術が三か月以上に及ぶ場合は一律に三か月とする))を以って鍼灸治療費の療養給付を打切った。
3 原告は、本件処分につき、同五九年一二月二七日大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をなし、同六〇年五月二九日棄却され(送達日・同年六月二八日)、同年七月二六日労働保険審査会に対し再審査請求し、三か月を経過した。
二 争点(本件処分の違法性)
(原告)
1 労災法一三条二項にいう「政府が必要と認めるもの」の意義
(1) 労災法に基づく労災保険は労働基準法によって使用者に義務づけられる災害補償責任に代替するものであるから、同法一三条二項にいう「政府が必要と認めるもの」とは労基法七五条にいう「必要な療養」、同施行規則三六条にいう「療養上相当と認められるもの」と同義に解すべきであり、斯く解してこそ労災法と労働基準法との整合性が保持される。
(2) 「療養上相当」との判断は、療養方法の相当性に関する医学上の専門的判断であり、行政目的による裁量が容喙する余地はない。
(3) したがって、「政府が必要と認めるもの」の趣旨は、政府が労災保険給付の範囲について第一次的に判断するという制度の宣明に過ぎない。
2 三七五通達及び三〇連絡の違法性
(1) 形式的違法性(法的根拠の欠如)
労災法一三条二項に基づき一般医療と併施に係る鍼灸治療の療養給付期間を一律に一年に制限する如きは法令の専管事項であり、労働省労働基準局長の通達によってはなし得ない。
(2) 実体的違法性
一般医療と併施に係る鍼灸治療の療養給付期間を、患者の個別的、具体的な症状と無関係に一律に一年に制限することは、前記「政府が必要と認めるもの」の法意に反する。
<1> 鍼灸治療に対する医学知見
イ 鍼灸治療が一般的な疼痛を主徴とする疾患全体にわたる補助的鎮痛法として有効であり、特に、二次的に発生した血流障害や筋痙縮に伴う痛みに対し著効を示すことは多数の大学病院等の臨床例及び研究によって明らかであり、その作用機序も大要が解明され、他の薬物療法等に比べ、有効性が高い上副作用がなく長期の連用に耐えるため、極めて有用な療養方法として全国の病院に普及(一般化)している。
ロ 職業性頸肩腕障害及び腰痛症は症状が相当進行して発見される難治性の症例が多く、患部の疼痛、知覚障害、筋硬結等の慢性的諸症状の軽減、除去を中心とする治療は長期間に及ぶため、鍼灸治療が極めて有用であり、特にリハビリ就労時における運動機能等の回復に好適である。
<2> 一律に一年以上の鍼灸治療の併施を認めないことの不合理性
イ 従来、鍼灸治療について期間制限はない取扱であった。
ロ 一般医療と併施される鍼灸治療は一年を以て足りるとする医学的根拠はなく、一律に一年の期間制限を設けることは、医学上、一年以上の一般医療、鍼灸治療の併施が必要である場合も療養給付の対象外とすることになり、不合理である。
3 原告が同五八年四月一日以後も鍼灸治療の併施を必要とした事由
(1) 発症
原告は、同四九年四月から社会福祉法人今川学園キンダーハイム(低年精神薄弱児通園施設)に勤務していたが、同五〇年頃肩こり等の症状を生じ、職場において週一回の割合で肩の鍼治療を始め、同五一年一二月腰痛を生じ、腰の鍼治療も始め、同五二年には少し回復した。同年七月から出産休暇を取り同五三年一月職場に復帰したが、同年二、三月は腰痛がひどくなったため二週間休業し、整形外科医による通院治療を受けた後、職場における鍼治療を続けたが症状は悪化した。
(2) 松浦診療所における診断と治療
<1> 治療の開始
原告は、同五五年六月から出産休暇を取っていたが、同年七月三日、同診療所において、頸肩腕障害及び腰痛症の診断を受け、出産後の同年一〇月から育児休暇を取り、同月二日から週二回、同診療所の通院治療(主として、鍼灸治療、温熱療法、運動療法)を受け始めた。
<2> 同年一〇月二日から同五六年一月二八日まで(鍼灸治療一六回)
愁訴及び所見は、頸肩背部及び腰下肢の強い痛み、頭痛、目眩、ふらつき、頸肩部から腰臀部にかけ広汎な筋肉の凝り及び圧痛であり、強度の疼痛除去を目的とした鍼灸治療と温熱療法(マイクロウエーブ、ホットパック)が併用され、症状に改善が見られた後は運動療法併用への移行が図られた。
<3> 同年二月から同五七年三月二六日まで(鍼灸治療四五回)
慢性化した筋疲労の改善のため、運動療法(水泳)が採用されると共に鍼灸及び温熱療法によって筋緊張の緩和、柔軟化、筋血流の改善が図られ、途中何度か鍼灸治療を中断したため波はあったが着実に効果は上がった。
<4> 同年四月から同五八年一〇月二一日まで(リハビリ就労期、鍼灸治療五六回)
鍼灸治療、温熱及び運動療法(同五八年五月から操体療法へ移行)を併用しつつリハビリ就労時間の増加が図られた。症状は一時的に悪化することもあったが、同年夏には週五日の勤務が可能なまでに回復した。
<5> 同年一一月から同五九年一二月四日まで(鍼灸治療七回)
職場へ完全復帰した当初、一時的に症状は悪化し疲労感も強く、同五九年初めの厳寒期を過ぎるまで持続したため、鍼灸、温熱(ホットパック)療法、ビタミン剤の投与が続けられ(運動療法は中止された)、同四月ころには改善効果が現れ、その後順調に回復し、同月一八日以降は二週間に一回の通院治療となり、同年六月二三日以降は鍼灸治療も行わず、同年一二月四日治癒した。
(3) 松浦診療所においては、原告に対し、初診時から治療終了まで、鍼灸治療が中心的に行われ、その結果、慢性化していた頸肩腕障害及び腰痛症は漸く治癒したのであり、鍼灸治療が必要不可欠であったことは明らかである。
4 したがって、原告が、松浦診療所の医学的所見に基づき、同五八年四月一日以後も一般医療と鍼灸治療の併施をうけたことは療養上相当であるから、本件処分は違法であり取消されるべきである。
(被告)
1 労災法一三条二項にいう「政府が必要と認めるもの」の意義
(1) 労災法と労基法の補償内容が一致していないことは明らかであり(労基法八四条一、二項)、労災法の「政府が必要と認めるもの」と労基法及び同施行規則の「必要な療養」「療養上相当と認められるもの」とは同義ではない。
(2) 労災保険制度は我が国の医療体制の一翼を担うものであり、労災保険給付は現代医学における療養方法の推移と社会情勢に的確に対応した医学的且つ社会的に必要な範囲に限られるべきものであるから、労災法一三条二項は政府に療養給付の範囲の決定権限を付与したのである。
(3)<1> 療養を療養給付の対象とするためには、療養方法が、客観的公正な西洋医学的見地からみて治癒に向け効果があり、且つ、一般の医療機関において通常用いられ、社会的に常識の範囲内になければならない。前者は医学界において確立した一般的見解に従うべきであり、政府に裁量の余地はないともいえるが、後者は我が国の医療体制全般、社会的医療通念に従い、政府が裁量によって判断すべきことである。
<2> 更に、療養給付の対象認定にあたっては、当該療養方法と他の多くの治験的或いは評価の定まらない療養方法、民間療法及び一般性を欠く療養方法との均衡、労災法が労働者の社会復帰の促進、援助を目的としていることへの配慮、労災法上の療養給付と他の保険給付及び労働福祉事業との関連・それぞれからどの程度の保護、援助をなすべきかの政策的選択、療養給付濫用の防止等様々な要素を総合的に考慮すべきであり、右判断は政府の広い裁量に委ねられているといわざるを得ない。
2 三七五通達及び三〇連絡の適法性
(1) 法的根拠
労働省は労働者災害補償保険事業を行うことを所管事務とし(労働省設置法四条二三号)、労働基準局は労働者災害補償保険の保険給付に関する事業を行うことを所掌事務としている(労働省組織令六条六号)。三七五通達及び三〇連絡は労働基準局長、同補償課長が労災法一三条二項に基づき発したもので、その手続上の有効性に何らの疑問はない。
(2) 実体的合法性
<1> 鍼灸施術に対する医学知見
イ 鍼灸は、作用機序について定説はなく、整形外科において、理学療法等を行う場合の補助手段として疼痛、シビレ及び麻痺(頭痛、耳鳴り、関節痛、腰痛及び各種神経痛)等の一時的緩和を図る対症療法として用いられるが、効果は個体差があり、多くは温熱療法、マッサージ等によって代替されている。麻酔科においても、他に有効な麻酔方法があり、一部の病院等が試験的に導入している段階に止まる。
ロ 神経内科、整形外科、耳鼻科等の医家は鍼灸の施術期間を通常六か月を以て足りるとしており、一年以上継続して行われる鍼灸施術の有効性を認め得る資料はない。
ハ 職業性頸肩腕障害及び腰痛症は労働因子、身体因子、精神心理因子が相乗複合的に作用して発症するものであるから、労働因子を改善すると症状も改善されるのが通常であり、鍼灸施術開始後六か月も経過すると、鍼灸施術の労働因子に基づく症状の改善に対する寄与は稀薄となり、その後の鍼灸施術は患者の素因の改善を主たる目的とすると考えられる。
<2> 鍼灸施術の特異性
元来、東洋医学は患者の体質を改善することにより自然治癒力を回復させることを図るものであり、鍼灸施術もその例外ではなく、患者の症状に対して如何なる効果を発揮しているか判別し難い面があり、鍼灸施術が療養方法として未だ一般性に欠ける所以である。特に、頸肩腕障害や腰痛症の診断と治療は患者の主訴を中心に行われ、鍼灸が疼痛等の症状を一時的に緩和する場合もあることに徴すると、患者によっては無制限に鍼灸施術を受続けたり、疼痛症の症状緩和以外の目的で治験的に用いられる虞もある。
<3> 単施による鍼灸施術の取扱
イ 三七五通達及び三〇連絡は、一般医療と併施に係る鍼灸施術の療養給付期間が経過した後も、鍼灸単施について尚一年間を療養給付期間としている。
ロ イの期間経過後は、労災法の労働福祉事業として、同五七年六月一四日基発第四一〇号労働省労働基準局長通達「労災はり・きゅう施術特別援護措置の実施について」(以下、四一〇通達という)、同六〇年四月一七日基発第二二二号労働省労働基準局長通達「労災はり・きゅう施術特別援護措置要綱の一部改正について」(以下、二二二通達という)は最長二年間の鍼灸単施を認めている。
<4> 一年以上の鍼灸併施を認めないことの合理性
三七五通達及び三〇連絡は、従来、六か月に限り鍼灸単施を認めていた取扱を被災労働者に有利に変更したものであり、1(3)及び2(2)<1>ないし<3>によると、現段階において、一年以上の鍼灸併施を認めないことには相応の合理性があり、労働省は三七五通達及び三〇連絡の実施にあたっては、厚生省及び日本医師会、日本保険鍼灸マッサージ師連盟とも協議を重ね、了承を得ている。
3 原告の松浦診療所における鍼灸施術
(1) 原告の鍼灸受診歴
原告は、同診療所において四年近く、その前にも職場において相当長期間、鍼灸施術を受けており、右鍼灸施術の全てが頸肩腕障害、腰痛症の治療に必要不可欠であったとはいい難い。
(2) 原告の病歴等
原告は、同四九年から同五八年までの間、慢性膵炎、腎盂炎、膀胱炎、尿路結石、肝障害、貧血(疑)、胆石、胃腸炎等多数の病歴を有し、且つ、同五二年九月長女、同五五年八月次女を出産していることに徴すると、同診療所における鍼灸施術が頸肩腕障害、腰痛症それ自体の改善にどれほど有効であったか判然とせず、又、育児等の負担が頸肩腕障害、腰痛症の治癒を遷延させたことも否定できない。
(3) 他の治療方法との関係
原告は、同診療所において、一般医療、鍼灸施術の他、多数の温熱療法、水泳療法、体操療法を受けており、その全てが必要であったか、又、何れの療法が頸肩腕障害、腰痛症の改善、治癒に有益であったか判別できない。
(4) 以上によると、原告は同五八年四月一日以後も、一般医療と鍼灸施術の併施を必要としたとは認め難く、仮に必要であったとしても、それは原告の一般的な体質改善に資するものであり、労災法上の保護の対象たり得ない。
4 したがって、本件処分は正当である。
第三判断
一 労災法一三条二項にいう「政府が必要と認めるもの」の意義
1 労災法に基づく労災保険制度は労基法による災害補償制度から直接に派生したものではなく、両者は、労働者の業務上の災害に対する使用者の補償責任の法理を共通の基盤とし、並行して機能する独立の制度である(最高裁昭和四八年オ第四二七号同四九年三月二八日第一小法廷判決・裁判集民事一一一号四七五頁参照)。
2 労災法一三条二項は、療養補償給付の対象となる療養の範囲を政府が必要と認めるものに限っているのであり、労基法上の療養の範囲(同法七五条、同施行規則三六条)と異なるから、療養の範囲が前者が後者に比べ狭くなることがあっても強ち不合理とは言えず、労基法もこの理を前提にしていると解される(同法八四条一項)。
3 労災法一三条二項は政府に療養補償給付の範囲の決定権限を付与するものであり、それ故、政府は、労災補償保険制度の理念に則り、客観的公正な医学知見及び社会通念に基づき、労働省令(行政裁量)によりこれを決することができるのである(同法二〇条)。
二 三七五通達及び三〇連絡について
1 法的根拠と効力
同法一三条二項の療養補償給付の範囲を定める労働省令はない。三七五通達及び三〇連絡は、労働省労働基準局長、同局補償課長が発したものであり(労働省設置法四条二三号、労働省組織令六条六号)、対外的効力を有さず、労働省部内の内部的処理基準たるに止まる。
2 三七五通達及び三〇連絡の合理性
(1) 鍼灸施術は、作用機序もある程度解明され、整形外科においても、主として理学療法等を行う場合の補助手段として疼痛、シビレ及び麻痺(頭痛、耳鳴り、関節痛、腰痛及び各種神経痛)等の症状の除去、緩和に有効であるため多数の病院等において用いられている(<証拠・人証略>)。
(2) 鍼灸施術は、罹病期間が短い場合、初療から六か月ないし一年以内に著効を示す例が多いが、罹病期間が長い場合、即ち、一年以上の既住がある場合、効果は著しく減じ、施術期間も長くなる(<証拠・人証略>)。又、疼痛等の除去、緩和を目的とする鍼灸施術は他の療法によって代替し得るものであるため、医家、特に整形外科医においては、単施、併施を問わず、鍼灸の施術期間を六か月ないし一年を以て足りるとする見解が有力である(<証拠・人証略>)。他方、一年以上継続して行われる鍼灸施術の有効性或いは一般医療と鍼灸の施術を一年以上必要とすること等を明らかにする格別の資料は乏しい。
(3) 三七五通達及び三〇連絡の策定に当たっては、医家の意見を徴し、厚生省及び日本医師会、日本保険鍼灸マッサージ師連盟とも協議を重ね、その了承を得ている。
(4) 三七五通達及び三〇連絡は、鍼灸につき、単施一年、一般医療との併施一年及び併施後の単施一年を療養補償給付期間としている上、四一〇通達及び二二二通達は、労働福祉事業として、最長二年間鍼灸施術を行い得るものとしており、労災法の運用として、全体的には長期間の鍼灸施術を保護の対象としている。
(5) 鍼灸施術は、同二三年二月二五日基発第三六一号労働基準局長回答により療養補償給付の対象とされて以来、事実上、補償給付期間の制限のない運用がなされたため濫給付と目される事例を生じていた(<証拠・人証略>)。
(6) 以上によると、三七五通達及び三〇連絡が一般医療と併施される鍼灸施術の療養補償給付期間を一年としたことは、現在の医療水準及び社会通念に照らし、止むを得ない措置であり、前記政府の有する裁量権を逸脱しているとは認め難い。
三 原告の松浦診療所における鍼灸施術について
1 職業性頸肩腕障害及び腰痛症と鍼灸施術
(1) 職業性頸肩腕障害及び腰痛症の最大の要因は労働因子即ち作業態様、労働条件及び職場環境等に起因する労働負荷にあるため(<証拠略>)、職業性頸肩腕障害及び腰痛症に基づく諸症状は労働因子の改善によって消失、軽減する(摂動効果と呼ばれる)のが一般であり、労働因子の改善にも拘らず症状が持続する場合は、右諸症状の発症要因として他の因子、即ち、精神的、身体的因子を考慮すべきである(<証拠・人証略>)。
(2) 鍼灸は全身的調整療法として体質性肩凝り及び腰痛、内蔵(ママ)に関連する腰痛等に最適応であるが(<証拠略>)、職業性頸肩腕障害及び腰痛症の初期治療において著効を示す例も多い(<人証略>)。しかし、鍼灸は疼痛等の除去、緩和に有効であるため、患者はこれに依存し易い面があり、頸肩腕障害及び腰痛症根治のための対応を誤ると、慢性(難治性)症状を呈するようになる例が少なくなく、現在の鍼灸療法の不適切さを指摘する意見もある(<証拠略>)。
2 原告に対する鍼灸施術
(1) 原告は、昭和五〇年ころから肩凝り、腰痛のため職場において鍼灸施術を受け始め、同五五年七月松浦診療所において頸肩腕障害及び腰痛症と診断され、同年一〇月から同五九年六月まで継続して、同診療所において、各種、多数の一般医療、理学療法及び鍼灸施術(同年の回数は原告の主張のとおりである)を受け、愁訴を中心とする症状は一進一退を繰り返しながら漸次快方に向かい、同五八年四月以降は鍼灸施術を受ける回数も減った(<証拠・人証略>)。
(2) 原告は、右の間、二度に亘る出産休業、育児休業、病気休業を取り就労していないが(原告)、顕著な摂動効果がみられない。
(3) 又、原告は、同四九年から同五八年までの間、慢性膵炎、腎盂炎、膀胱炎、尿路結石、肝障害、貧血(疑)、胆石、胃腸炎等多数の病歴を有し、且つ、同五二年九月長女、同五五年八月次女を出産している(<証拠・人証略>)。
(4) 1の説示及び右事実によると、原告の受けた各種の一般医療、理学療法及び鍼灸施術のうち、原告の症状改善に何れが有効であったか判然としないこと、原告の症状は同五八年四月以降相当程度軽快しており、鍼灸施術が疼痛緩和を除く症状改善のため特に必要であったとは認め難いこと、以上を総合すると、原告において、同五八年四月一日から同年一二月三一日まで、尚、労災認定に係る職業性頸肩腕障害、腰痛症の治療のため一般医療と鍼灸施術の併施を必要としたと認めるに足りない。
四 本件処分の正当性
以上の説示並びに原告は既に同五五年一〇月二日から同五八年三月二五日まで一般医療及び鍼灸治療の併施に係る療養費用の療養給付を受けていることを総合考慮すると、七五通達及び三〇連絡に依拠してなされた本件処分は正当といわざるを得ない。
よって、原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 野々上友之 裁判官長谷部幸弥は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 蒲原範明)